タイトルは「歴史散歩」ですが、歴史に限らずヨーロッパの文化や言語、そして日常生活で「いいな!」と感じたことを発信します。

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中世の感染症(梅毒)

 いよいよ寒くなって来て、またインフルエンザが流行する季節になりました。

現代人はインフルエンザが感染症であり、神の罰などと考える人はいません。

「感染」と言う考えは、16世紀頃から医者が経験的に得たものだとされています。

患者の周辺で同じような症状の病人が出たり、

罪を犯したと考えられない乳幼児も同じ病気にかかる例などを見ると、

確かに神の罰だとは思えなくなってきます。


 


今回はルネサンス時代の感染症として「梅毒」を取り上げます。

性病としても知られる梅毒がヨーロッパに伝わったのは、

コロンブスのアメリカ到達以降だとされています。

確かに、15世紀のコロンブス以前にさかのぼるヨーロッパ人の人骨には

梅毒による病変は見つかっていません。

一方で15世紀以前のアメリカ大陸のインディオの骨からは

梅毒病変が見つかっています。

従って、コロンブス以降のアメリカ大陸との接触によって、

梅毒がヨーロッパにもたらされたのは間違いないとされています。

なお、日本には1512年に伝わっていると言うので、

その感染スピードには驚かされます。


 関係する文献を読んでいると、またまた驚くことに、

フランソワ1世(在位15151547年)時代のパリ市民の3分の1

が梅毒に感染していたということです。

この王様は画家ハンス・ホルバインの「死の舞踏」で、

梅毒患者のフランス王として描かれています。


 フランス王と同様にイギリス王も、同じ病に苦しんでいました。

エリザベス1世の父であり、生涯6人の王妃を迎えたヘンリ8世も

感染者であったらしいのです。

最初の妻キャサリン・オヴ・アラゴンの場合、

後のメアリ1世を除いては流産や早産を繰り返しますが、

これは先天性梅毒によると疑われます。

なお、2番目の王妃アン・ブーリンの最初の娘である

エリザベス1世については、梅毒の兆候はないようで、

ここから実はヘンリ8世の子供ではないという説もあります。

3番目の王妃ジェーン・シーモアとの間に生まれた

エドワード6世も16歳で他界していますが、

これも先天性梅毒だと疑われています。


 このように、身分を問わず拡がった梅毒ですが、

当時は有効な治療法もなく、治療したものの

副作用でかえって命を縮めることもありました。

世界史教科書に登場する多くの人々が、

この病気に感染していた疑いがあります。

こんなことから、医学が発達した現代人は幸せなのでしょう。

より多くの人が医学の恩恵にあずかることを願ってやみません。


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新しいパソコンになり・・・
これまで8年ほど使っていたパソコンがついに・・・
急に電源が落ちるようになり、仕事にならないため
我が家にあった娘のパソコンをちゃっかり使用しています。

話は変わりますが、この数か月、投稿できない心境になってしまいました。
本当はこの場所で言うことではないのでしょうが、
私自身の心の整理をつけるため、また覚書として記しておこうと思いました。

私は滅多にログインしないfacebookのアカウントを持っています。
そのfacebookに対し、この数年間お付き合いのあるフランス語の先生から
急に「Sさんという人と組んで仲間はずれにした」という
わけのわからない事を言われました。

同じグループにも入っていない人に対して、
どのようにしたら仲間はずれにできるのかも疑問です。
第一、そのSさんとは一応facebook上では友達ですが
長く連絡も取っていない間柄。
そのフランス語の先生は、私の友達のSさんといつの間にか友達になっており、
1~2回面識のある私よりもSさんの趣味や日常についてご存知でした。
ところが、ある日突然、Sさんとトラブル状態なったいうことです。
その先生の話だと、今もトラブルが続いているように思えました。
どのようなトラブルかは、その先生とSさんとの問題だと教えてもらっていません。

私としても、無茶な言いがかりをつけられたので、裏取りをしました。
Sさんとも久しぶりに連絡を取ったのですが、
何とSさんは、フランス語の先生とは1年以上連絡を絶っていたそうです。
その理由として、毎日のようにメールが届くようになり、
誠意をもって返事をしていたが、覚えのないような返信が届くようになったとのこと。
そのようなことが続いたため、ストーカーのような怖さを覚え、
連絡を絶つことにしたそうです。

両者の言い分は全くかみ合っていないのです。
でも、フランス語の先生のメールの返信については、私も同じようなことがあったので、
これはSさんの言い分が正当だと判断しました。
確かにフランス語の先生からのメールは首尾一貫していない内容でした。
問題のフランス語の先生は、被害妄想で自らトラブルを創りだしていたのです。
また、ご本人は「長い間あの難しいフランス人と仕事をしてきたから
私の判断に間違いなない」と信じ切っているようです。

そういえば、若いフランス人とのトラブルも聞きましたが、
その理由として、フランス人がfacebook上に
「私の世話になったと書いていない」ということでした。
facebookは個人的に好きなことを投稿すれば良いので、
それはちょっと・・・と思った次第です。

ここで教訓。
SNSの知人だからといってメールアドレスを簡単に教えない。
素晴らしいキャリアを持っていても、人間性には関係ない。
(この方はモナコ公夫妻の通訳もしたことがあり、
フランスで公務員の経験もあるとのこと。
現在は、関西の高級住宅地でフランス語教室を主宰しています)。
特に年齢を重ねると判断力も弱まるでしょう。

どんな人間でも、定期的にアタマの中をアップデートする必要があるのでしょう。

今回はネガティヴな意味で勉強になりました。
そのフランス語の先生とは連絡も絶ち、
現在は心穏やかに過ごしています。



ブタさんの話

気付いたら1か月以上も更新をサボっていました。

ポリグロット外国語研究所『実践オランダ語講座』に

以前に書いたものを掲載します。

 

中世史の文献を読んでいると、ブタと遭遇することがよくあります。

講談社現代新書の池上俊一著『動物裁判』(1990年)では

巨大な母豚に突進されて幼児が死亡するという事件が扱われています。

この事件は1456年の年末に起こっています。

当時のブタはまだイノシシに近いようで、

この幼児は母ブタに食べられたようです。

「動物裁判」と言うとおり、

この母ブタと6匹の子ブタは「現行犯」で逮捕された後、

裁判にかけられ、母豚は木に後ろ足で吊るされる刑に、

子ブタは無罪という判決が出ました。

母ブタは判決に従い、木に吊るされ死刑となりました。

 

年末にこの事件が起こったことも、実に中世的です。

当時のブタは特に天敵もいなかったため、普段は森に放し飼いされていました。

秋にはどんぐりを食べて太ったブタを屠殺して、

冬の保存食糧を作る場面は農事暦12月の定番でもあります。

ブタ肉はもちろん、脂肪(ラード)は、

ぜいたく品であるオリーブ油やバターに代わる重要な食糧でした。

「ブタの生命はブタ肉を腐らせないためにある」という言葉があるくらいです。

そんなこともあり、冬を前にして多くのブタが農村に集められていたのです。

 

中世では都市でもブタ問題が深刻でした。

何と14世紀のフランス王ジャン2世(在位135064年)は、

「パリの市壁の内部では、いかなるブタも所有ならびに飼育してはならない」

という王令を出しています。

つまり、14世紀のパリでも街路でブタが放し飼いされていたわけです。

雑食性のブタは、街路の汚物掃除に役立っていたと言われますが、

市民からは悪臭はもちろん、体重が重いことからも危険視されていたのです。

 

私が住んでいる所では、イノシシが住宅街に出没します。

中世の人たちも、街路で巨大なブタに出会って、

とても怖かったのでしょう。


中世 ドイツとノルウェーのビール

 以下の内容はポリグロット外国語研究所の無料メルマガ
『実践オランダ語講座』に掲載した内容です。

専門書を読んでいて興味深い内容があったので、取り上げます。
成川岳大「中世ノルウェーの商業と経済』
(斯波照雄・玉木俊明編『北海・バルト海の商業世界』(2015年 悠書館)という論文です。

ノルウェーのベルゲンは人口25万人を数えるノルウェー第2の都市であり、
第1の観光都市でもあります。
そして約千年の歴史を持つ都市であり、
中世ではドイツ・ハンザの商館もあった商業都市でした。
ハンザ都市でもあったため、大いにドイツ文化の影響を受けており、
その文化の1つにビールも数えられます。
現存最古の関税記録(1577/78年度)では、
毎年約14,000樽のビールがドイツから輸入され、
市民1人当たり毎年60リットルのビールを購入していたことになります。
ビールの原産地はハンブルク、ブレーメン、ロストクなど
北ドイツの様々な都市が挙げられますが、
何とこれら「舶来」ビールは、ノルウェー産の2倍から5倍の価格だったそうです。
ノルウェーの地ビールとドイツ産の違いはホップの使用です。
ドイツ産はホップで風味を付けて醸造していましたが、
ノルウェー産では使用されませんでした。
ヴァイキング時代から伝統的に北欧人は麦芽を発酵させたエールを愛飲していましたが、
ホップ栽培がノルウェーに根付かないままでした。
中世の事なので味見はできませんが、味の面では優劣つけがたかったそうです。

つまり、中世末のノルウェー人は、
高価であるけども味はそれほど優れていない舶来ビールを好んだことになります。
ここで考えられるのは、ドイツ産ビールは生活必需品というよりも、
ぜいたく品・嗜好品として買い求められたということです。
ドイツ・ビールのブランド力はそれほど強かったといえます。
ハンザのドイツ商人とノルウェー人の間には、
時には小競り合いも生じましたが、ドイツ・ブランドを受け入れることで、
ノルウェーもドイツの商業・文化のネットワークに食い込まれたと言えましょう。

中世フランドル地方の正義
 中世の暴力や犯罪に対する態度は、現代人にとっては驚きの連続です。
 「北のヴェネツィア」と呼ばれるブリュッヘ(ブリュージュ)の現在の写真などを見ると、
あまりの美しさに中世も平和だったのかと思ってしまいますが、
中世のフランドルは非常に暴力的な場所だったそうです。
フランドル伯は早くから領地に対する支配権を強めていましたが、
それでもフランドルの海岸部は、12世紀末まで伯に抵抗しつづけました。

 11世紀から1120年代まで世俗関係の訴訟を扱ったのは教会の法廷でした。
たとえば、ある夫が妻を殺害した事件に際し、伯は自らの司法権行使を拒否して、
司教の法廷にまかせていました。
聖職者が殺人事件の裁判を担当するのは、現代人にとっては違和感があります。
また教会は私的な争いによる殺人には寛容だったそうですが、
親殺しに対しては厳しい対応をしたそうです。
しかし血縁の無い配偶者の殺人はこれよりも軽かったということです。

 伯による犯罪者に対する刑罰は、他の民衆や貴族に対する
見せしめ的な性格があったということです。
11世紀半ばに伯だったボードワン5世は、
農夫から2頭の牛を盗んだある騎士を生きたまま火あぶりにし、
トルホウトの定期市で強盗を働いた10人を絞首刑にしたということです。
現代日本の刑法では、窃盗や強盗で死刑になることはありませんから、
驚くほど重い刑罰だったと言えます。
また12世紀初めに伯だったボードワン7世は、
市場の平和を破壊した(つまり市場を混乱させた)10人の騎士を絞首刑にし、
別の一人を油で煮殺したということです。

 フランドル伯が見せしめの刑罰を加えた背景には、
公共の平和を守ろうという意図がありました。
ロベール・ル・フリゾンという伯は1092年に、神の平和を支持すると宣誓し、
無許可での城の建設を禁止し、
道路、商人、寡婦、孤児そして旅人を保護したということですが、
残念ながら実際的な効果はほとんどなかったようです。
そしてついには1127年には伯そのものが、それも教会の中で暗殺されるという事件が起こります。

 現代人が想像する中世世界とは異なり、騒然として危険な世界だったと言えますが、
無力なりにも伯は上に立つ者として、弱者を守ろうとしていたことに少し救われます。
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